他人の記憶の中に入る方法
「中学の時、好きだったあの子は、今、どこで何をしているのだろうか」
大学を卒業するしないの頃、これが急に気になり出し、片っ端から同級生に連絡をとっていって、住んでいる場所の特定を試みたことがある。
今、キモイ、と幻聴が聞こえたが、おっしゃる通りである。
まあ当時はまだ21だったし、そこそこ爽やかさもまだある男前の前途ある若者だったので、ギリギリなんとかアウトラインを踏みかけぐらいだと思うが、28になった今、同じことをしたら完全にアウトなんだと思うので、定期的に本名をGoogle検索する程度に留めている。
第一、こういう思いに取り憑かれて日々を過ごすと、ある日、滞在していたネットカフェごと異世界に飛ばされないとも限らない。*1
彼女の名前をここでは、ちづる、としよう。
ちづるは、ポニーテールで丸顔、眉は太め、目は大きく、ちょっとやわらかそうな体型の女の子である。
久しぶりに連絡をとった同級生にも、「確かにかわいい」と言われたので、おそらく、少なくとも当時は「かわいい女の子」のカテゴリーに入るはずである。
同時に、同級生たちが急速に大人っぽい話題に関心を持つ中で、とても「子供っぽい」性格をしていた。
というか、突飛な言動が多く、田舎の公立中学の、いわゆる普通のクラスメートの中では若干「浮いた」存在であった。
前述した通り、一応「かわいい」のカテゴリーに入るのに、男の影がなく、いまも僕の中で美しい思い出のままになっているのは、そういう理由である。
部活は演劇部に入っており、僕も科学部に入っていたので、ともにスクールカースト的には底辺であった。
演劇部の活動場所である第2理科室と科学部の活動場所である第1理科室は、廊下を挟んで向かい同士であり、また文化部(運動部以外の部活)は学内のイベントを一緒にやったり、演劇部の公演に、科学部の人員を貸し出したりしていたので、彼女と話す機会は多々あったわけである。
また、1年生と2年生で同じクラスだったため、また、名字が同じ文字で始まることからも、席順が近く、異性ということが壁にならず、わりと仲良くなりやすい存在だったと言える。
と、ここまで書いていて、だいぶ精神が中学時代に戻ってきていて、おそらく相当キモイ文章を今から書くことになるだろうが、このブログの名前に恥じない、童貞性を真空パックで鮮度保存したような文章が書ければ幸いである。
そんなわけでちづるとは、友達として普通に接していたわけだが、どういうわけか中2の夏くらいから、急に「懐かれだした」のを覚えている。
具体的には、
・僕を、独自の愛称で呼び出す
・黒板やノートにその独自の愛称とイラストを書いてはからかってくる
・お昼休みに僕の机まで話しに来て、僕の些細な返答に、おかしみを感じ、笑ってくれる
・文房具を借りに来る
等である。
当時のことを思い出すに、彼女の言動はおそらく恋愛感情ではなく、「箸が転んでもおかしい年頃」に、「面白い友人」として認知されていたのだと思う。
なぜなら、2年生のクラスには、演劇部が彼女の他に3人おり、文化部の女子も多く、その子たちが徒党を組んでは、僕をコンテンツとして面白がっていたからである。
面白がっていた、というと、いじめっぽくも聞こえるが、そういうニュアンスとも違って、彼女たちがこういうと面白がる、というような言動がだんだん僕もわかってきて、わざとしていた部分もあるし、人から「ウケをとる」のは気分がよかった。
いつから僕は、ちづるが好きになっていたか、というより、いつから好きじゃなくなったのか、を話したほうが、この話を話すのにはふさわしい。
よっぽどのことがない限り、子供は急に大人になるのではなく、段階的にいろんな機能がアップデートされて行くのだと思う。
僕は、将来の夢に「発明家」と書くような科学大好き少年であり、その素朴な動機のまま科学部に入ったが、明確に「集団の中での自分の立ち位置」みたいなものを客観的に見だした、というか意識しだした記憶がある。
中2の後半くらいである。
特に決定的なイベントが起こったわけでもないが、「スクールカースト」というものを強烈にこの時期から意識し始めた。
当時は、そんな言葉は知らなかったが、あの狭い世界の中で、ヒエラルキー、順位があるのは肌で痛いほど感じていた。
・運動部は文化部よりも順位が高い
・男は、身長が高く、身体能力が高いと順位が高い
・見た目がいいと順位が高い
・ちょっとワルい方が順位が高くなるが、ガチで人の嫌がることをするのは順位を落とす
みたいな、どこにでもあるこういうルールでヒエラルキーは構成されており、また、みんな、この「順位上げゲーム」に参加している、ということが、明確にわかり始めたのである。
このゲームに僕が絶望しなかった理由は、「生まれもっての身長や顔だけじゃなく、ギャグやノリの良さ、空気が読めることでも、順位をあげることができる」というルールもあったからだ。
そう、僕もこのゲームに能動的に参加するぞ、と決意したのが、僕の中学時代なのである。
そして、中学時代で貯めた知見を活用して「高校デビュー」を果たし、クラスの中心人物になるのだが、ある事件をきっかけに「作られた人格」がバレて「野ブタ。をプロデュース」みたいなヒエラルキーの転落を経験するのだが、それはまた別のお話である。
中学卒業後、彼女に最初に会ったのは、地元の成人式の会場である。
つまりお互い新成人の時である。
振袖姿の彼女を見つけた僕は、急速にいろんなことを思い出して、思わず声をかけた。
彼女は、一瞬びくっとして、それからおずおずと僕の顔を見つめ、僕の名前を呼んだ。
でも、それは、昔の、彼女独自の愛称ではなく、僕の苗字を君付けしたものだった。
怯えたような態度や視線、うっすらと浮き上がった目の下のクマ、それらから、とりあえず僕は、彼女サイドにも何かしら物語があり、結果として、無邪気でいつも笑みを絶やさない、あの頃の彼女ではない、ということを悟った。
その時何を話したか覚えていない。
彼女と別れた後、連絡先を聞こうと思った。しかしその後の同窓会には来なかったので、それは叶わなかった。
それから何年後か、僕は大学を留年しかけていた。
そしていろいろ思った。
人間の価値は、狭い集団の中のヒエラルキーだけで決まるものではない。
でもあの中学の時、僕は「順位上げゲーム」に夢中で、そしてその時できることは、「空気の読めない」「子供っぽい」友人と距離を置くことだった。
ちづるも例外ではなく、何なら、何か酷い言葉をかけたかもしれない。
そして異性の友人を一人失った。
もしあの時そうしていなかったら。
僕に人懐こくまとわりつく彼女を疎んじなかったら。
僕に自分の立場よりも大事なものが優先できる勇気みたいなものがあったとしたら。
もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、お互いの人生の中で、共に過ごす物語があったのかもしれない。
彼女は、無邪気なままでいてくれたかもしれないし、僕はもっと人が好きになれていたかもしれない。
何より、僕は、彼女を愛していなかったんだろうか。
そうだ、今からだったら、もう遅いんだろうか。
「まあ、そういうことです、刑事さん」
取調室で長い話が終わった。僕より少し年上らしい新人の刑事は、話を最後まで聞くと、僕の目を見て、こう言った。
「とりあえず、相手さんは被害届、取り下げないって言ってるから」
というわけで今は獄中でこのブログを書いています。
同じ刑務所の先輩のNさんが、今もう仮釈放中で、よく手紙をくれるのですが、僕が「過去に好きだった同級生を特定した話」を聞いて、こんな遊びを思いついたそうです。
「他人の記憶の中に入る方法」
曰く、通っていた小学校とか、よく遊んでた場所とか、相手の何か特定の場所にまつわる思い出をいろいろ聞き出すんだそうです。
そしてある程度場所を聞き出したら、Nさん、そこにいって自撮り写真をとり、その、思い出を持つ人に送りつける、と。
そうすると、相手は、その思い出を思い出したときに、脳裏のどこかにNさんの顔が浮かんでしまう、という「思い出汚染」ができるわけです。
えっ、天才じゃないですか。手紙には、そう返信しました。
僕自身は、この遊び、Nさんにやられたことはないのですが、この話が強烈すぎて最近では、あの、ちづるといた中学校の教室の、どこかに、Nさんがいるような気がしてならないのです。